聞いていないのに、自分を大きくする
こちらが「最近どうですか」と聞いただけなのに、相手は仕事の実績、知り合いの話、持ち物の値段へ進んでいく。数字が一つずつ足され、最後には「自分は普通の人とは少し違う」という形にまとまる。
話の内容が全部うそだとは限らない。実績も本当、知り合いも本当、買ったものも本当に高い。ただ、質問された範囲を越えてまで差し出されると、聞く側には「評価してほしい」という圧として届く。
見栄を張る人は、必ずしも人を見下したいわけではない。むしろ、見下される位置に自分が置かれることを先に避けている場合がある。相手が何も言っていないのに、勝手に順位を作って、勝手に安全な場所へ移動する。
見栄は、勝ちたいより小さく見られたくない
「すごいと思われたい」と「低く見られたくない」は似ているが、向きが違う。前者は加点を取りに行く動きで、後者は減点を避ける動きだ。見栄の多くは、この二つが混ざったところで始まる。
たとえば、休日の予定を聞かれていないのに「今度、会員制の店に行く」と言う。これは店の話をしたいというより、相手の中にある自分の評価を先に整えたい動きだ。何も言わなければ普通に見える。普通に見えることが、本人には少し危うい。
「そんなに気にしなければいい」と言われても、気にしている本人には簡単ではない。自分が小さく見える場面を想像した瞬間、見栄がその場を埋める。話を盛る、立派な人とのつながりを出す、余裕があるふりをする。内容は違っても、役割は同じだ。
この記事の話は、ビッグファイブでいう「外向性」と関わりがあります。自分の外向性がどのくらいかは、5分で測れます。
自分の外向性を測る(無料・登録不要)人は比べると、自分の見え方を調整する
心理学では、自分を他人との比較で少し良く見せる傾向を「自己高揚」として研究してきた。ここで注意したいのは、自己高揚そのものを見栄や悪癖と同一視しないことだ。自分を前向きに捉える働きは、適応を支えることもある。
Woodら(1994年)の実験では、自尊心が低い人は、成功したあとに社会的比較を選びやすかった。失敗したときではなく、うまくいったあとに比べる相手を探す。安全に自分を少し良く感じられる機会を選んでいた、と解釈されている。
一方、Zuckermanら(2006年)の縦断研究では、社会的比較による自己高揚が、その後の自己報告の適応の上昇と関連していた。適応が高いから自己高揚が増えた、という向きではなかった。つまり、自分を少し良く見る動きは、いつでも害になるわけではない。
問題になりやすいのは、現実の手応えではなく、周囲の反応だけで自分の位置を保とうとする場合だ。褒められれば落ち着く。反応が薄いと、次はもっと大きな話が必要になる。見栄が増えているのではなく、効き目が短くなっている。
「見せる自分」と「実際の自分」の差が苦しさを作る
見栄を張ると、その場では少し楽になる。けれど「本当の自分は、今見せたほどではない」という感覚が残ると、次の場面でも同じ印象を守らなければならない。自分で作った看板を、自分で持ち続ける状態だ。
Facebook上の自己呈示を調べた21の観察研究、合計7,573人をまとめたレビューでは、実際の自分とずれた自己呈示は、低い自尊心や高い社会不安と一貫して関連していた。また、神経症傾向やナルシシズムとの関連も多くの研究で見られた。ただし観察研究なので、見栄が不安を生むのか、不安が見栄を生むのかまで決められない。
この留保は大事だ。見栄を張る人を見て「本当は自信がない」と即断すると、別の決めつけになる。本人は単に自分を演出するのが好きなのかもしれないし、仕事上の自己呈示をしているだけかもしれない。見るべきなのは、話の大きさではなく、反応がないときに自分を保てるかどうかだ。
ビッグファイブで見ると、1つの因子では決まらない
見栄を張る人に、ビッグファイブの固定プロフィールがあるわけではない。自己呈示の研究も、外向性、協調性、誠実性、感受性などの関係を一つにまとめてはいない。だから「見栄を張る=外向性が高い」「見栄を張る=協調性が低い」と断定するのは早い。
それでも、見栄の形を読む手がかりはある。外向性が高い人は、人前で自分の話を出しやすい。人との接点を楽しみ、経験を共有すること自体が好きなことも多い。これは見栄ではなく、自然な自己開示だ。
そこに感受性の高さが重なると、相手の反応や評価の変化を細かく拾いやすい。話したあとに「今の自分はどう見えたか」を何度も確認する。外向性だけなら表現、感受性だけなら心配で終わるものが、二つの組み合わせで「よく見える形に整えてから話す」動きになることがある。
逆に、感受性が低く外向性が高い人は、見栄というより事実を大きな声で共有しているだけのこともある。因子は犯人を決める道具ではなく、その人がどこで自分を守っているかを見るレンズだ。
マウント・プライド・見栄は、似ているが別の動き
この三つは一緒に扱われやすい。けれど、こちらの疲れ方も、効く返し方も違う。
| 振る舞い | 中心にある動き | 見分ける質問 |
|---|---|---|
| 見栄 | 自分を実際より良く見せ、評価を整えたい | 誰も比べていないのに、先に自分を飾っていないか |
| マウント | 会話の中で相手より上の位置を取りたい | 相手の話を、一段上の自分の話で塗り替えていないか |
| プライド | 傷ついた自己評価を守り、下がったと感じたくない | 批判や訂正に反応して、急に攻撃や拒否が出ていないか |
見栄を張る人にマウントの話を返すと、本人は「勝負していない」と感じる。プライドが高い人に事実だけを突きつけると、訂正ではなく攻撃として受け取られる。名前を一つにまとめず、何を守ろうとしているのかを分けたほうが、こちらの消耗が減る。
張り合わずに返す、4つのやり方
見栄に付き合うと、相手の話をさらに大きくすることになる。否定すると、今度は自分を守るための説明が始まる。目標は、勝ち負けを決めずに話を現実へ戻すことだ。
| やること | 具体的な返し方 | 狙い |
|---|---|---|
| 事実の一部だけ受け取る | 「その仕事を任されたんですね」 | 話を盛った部分ではなく、確認できる事実に反応する |
| 値段や肩書きを深掘りしない | 「そうなんですね。ところで明日の予定は」 | 見栄を会話の主役にしない |
| 自分の話と比べない | 「私はそこは詳しくないので、感想だけ聞きたいです」 | 競争の土俵に乗らず、関心の範囲を決める |
| 境界線を短く伝える | 「その話は今は広げたくないです」 | 相手を診断せず、自分が受け取れる量を示す |
いちばん使いやすいのは、事実の一部だけを受け取る返しだ。「すごいですね」と全体を評価すると、次の見栄が出る。「その仕事を任されたんですね」なら、確認できる部分だけに光を当てられる。
相手の見栄を暴く必要はない。人前で「それ、本当ですか」と聞けば、その人は話の内容ではなく面子を守り始める。こちらが距離を取るだけで済む場面なら、正しさより静かな終了を選んでいい。
自分が見栄を張っていると気づいたとき
見栄は、他人にだけ出るものではない。話したあとに「今の話、言わなくてもよかったな」と思うことがあるなら、内容ではなく反応を取りに行っていた可能性がある。
見分ける問いは一つでいい。誰にも見られないとしても、それをしたいか。本当に欲しいものなら、他人の評価がなくても行動は残る。評価を得るためだけなら、見せる相手がいなくなった瞬間に興味も薄くなる。
次に話すときは、実績を小さく言う必要も、卑下する必要もない。「まだ途中だけど、ここまではできた」と現在地をそのまま置く。大きく見せる看板を外すと、会話の相手は評価する人ではなく、ただ話をする人に戻る。
見栄を張らないことは、自分を低く扱うことではない。大きく見せなくても、その場にいていいという感覚を少しずつ取り戻すことだ。
自分の感受性と外向性を知ろう
人前で自分を出しやすいか、相手の反応を細かく拾いやすいか。二つの傾きを一緒に見ると、見栄ではなく自然な自己開示なのか、評価を守るための自己呈示なのかを考える手がかりになります。
問題数は10問・30問・120問から選べます。まずは軽くでも大丈夫です。
参考文献
- Wood JV, Giordano-Beech M, Taylor KL, Michela JL, Gaus V. (1994) Strategies of social comparison among people with low self-esteem: self-protection and self-enhancement. Journal of Personality and Social Psychology(PubMed)
- Zuckerman M, O'Loughlin RE. (2006) Self-enhancement by social comparison: a prospective analysis. Personality and Social Psychology Bulletin(PubMed)
- Twomey C, O'Reilly G. (2017) Associations of Self-Presentation on Facebook with Mental Health and Personality Variables: A Systematic Review. Cyberpsychology, Behavior, and Social Networking(PubMed)