同じ音でも、職業なら思い出せて、名字だと出てこない
まず、いちばん有名な実験から紹介したい。1980年代に英国で行われたもので、いまも研究の出発点として引かれ続けている。
参加者に人の顔を見せ、その人についての情報を覚えてもらう。あるグループには「この人はパン屋です」と職業を教える。別のグループには「この人はベイカーさんです」と名字を教える。英語では、職業のパン屋も、名字のベイカーも、まったく同じ音だ。覚える音の並びは一文字も違わない。
それでも結果ははっきり分かれた。職業として覚えたほうが、名字として覚えたよりも、あとで思い出せた。音が同じなのに、意味の役割が違うだけで、取り出しやすさが変わる。この現象は、実験に使われた単語からその名で呼ばれている。
古い話ではない。2022年には、この現象を最新の手法で確かめ直した研究が出ている。参加者に顔とともに名字(ベイカーさん)と職業(パン屋)を覚えてもらいながら、脳の側頭葉の前のほうに弱い電気刺激を与えるという実験で、名字の想起と職業の想起では、関わっている脳の場所が違うことが示された。名前は、頭の中で別の扱いを受けている。
覚える中身が同じでも、名前として覚えたものは取り出しにくい
つまり、名前が出てこないのは、あなたがその人に払った注意の量の問題ではない。同じ量の注意を払っても、名前だけは落ちる。
もう一つ、取り出しにくさの中身を細かく調べた2020年の研究がある。「あの人の名前が出てこない」という状態のときに、思い出せる情報と思い出せない情報を分けて調べたところ、その人についての意味の情報(職業や住んでいる場所など)は94%の場面で思い出せたのに対し、名前の音の情報(最初の文字や音の数)は、約55%の場面でまったく出てこなかった。半分以上のケースで、音の手がかりはゼロだったということだ。
なぜ、名前だけが落ちるのか
理由は、名前が意味のつながりを持たないことにある。
「パン屋」と聞けば、頭の中でパン、小麦粉、朝の匂い、店の白い明かりといったものが一斉に立ち上がる。覚える先が何本もある。ところが「ベイカーさん」の場合、その音はその人ひとりを指すためだけの、意味のないラベルだ。つながる先がない。引っかかる場所がないものは、あとで手繰り寄せられない。
名前は、その人を指す以外に何の意味も持たない。だから、引っかかる場所がない。
この「名前だけが特別」という性質は、年齢の影響の出方にもはっきり表れる。
2002年に行われた対照実験では、年配の人と若い人に絵を見せて名前を答えてもらった。すると、喉まで出かかっているのに出てこない状態が増えたのは固有名詞(人の名前)のときだけで、普通の名詞では増えなかった。2006年の研究も同じ方向を向いていて、加齢による想起の低下は、その人の経歴などの情報よりも名前そのもので特に強かった。
スペインで140人を対象に行われた調査では、この状態は50歳を過ぎたあたりから増え始め、70歳以降でさらに増えるという数字が出ている。ただし同じ研究で、音のヒントを与えると思い出せる率が上がることも確かめられている。記憶から消えているのではなく、取り出す道が細いだけだ。
喉まで出かかる現象そのものは1991年に大きな総説がまとめられていて、そこでもこの現象を最も起こしやすいのは人の名前であることが指摘されている。つまり、名前が出てこないのは、人間の記憶の設計上、いちばん起きやすい失敗ということになる。
「自分は名前が覚えられない」という感覚の強さには、感受性(神経症傾向)が関わっています。実際の記憶力とは別の話です。自分がどちら寄りかは5分で測れます。
自分の感受性を測る(無料・登録不要)「覚えられない」という感覚と、実際の記憶力は別物
ここで、このサイトの本題である性格の話に入る。ただし、正直に書いておきたいことがある。
性格と「実際に名前を覚えられるかどうか」の関係を調べた研究は、探してもほとんど出てこない。「人への関心が高い人は名前をよく覚える」「几帳面な人は覚える」といった、いかにもありそうな説を検証した論文が、見当たらないのだ。よく言われているだけで、確かめられていない。
その代わり、はっきりした結果が出ている領域がある。「自分は物覚えが悪い」という感覚のほうだ。
認知症ではない高齢者1,567人を調べた研究では、感受性(神経症傾向)の高さが、自分の認知機能が落ちたという感覚と結びついていた。別の研究では、記憶の検査を受けたあとに感受性が高い人ほど「自分の記憶は落ちた」と感じやすかった。さらに集中的に測定した研究では、感受性が低い人ほど、自己評価と実際の成績が一致していた。
感受性が高いと、記憶力が落ちるのではない
同じだけ名前を忘れても、それをより重く受け止め、より強く覚えている。「私は昔から名前が覚えられない」という自己像は、忘れた回数ではなく、忘れたときの痛みの大きさから作られている可能性がある。
だから、この記事でいちばん伝えたいのはここになる。名前が出てこないことと、あなたが相手を大事に思っていないことは、別々に動いている。関心が薄いから覚えられないという説明は、広く信じられているが、それを支える証拠は用意されていない。
覚えようとするより、先に聞く
では、どうすればいいのか。研究から導ける手立ては、意外な方向を向いている。
1989年に行われた正常な加齢の調査で、興味深い結果が出ている。年齢の違う人たちを比べたところ、忘れていく速さには差がなかった。書き手はここから、高齢者の物忘れの多くは「忘れる」段階ではなく最初に頭へ入れる段階の問題ではないか、と述べている。
これは日常の実感とも合う。紹介された瞬間、私たちはたいてい名前を聞いていない。自分のことで頭がいっぱいだからだ。次に何を言うか、手はどうするか、失礼になっていないか。不安が強いときに、こうした自分向きの考えが課題への注意を奪うことは、1984年の古典的な研究でも示されている(その研究が扱ったのは試験の場面で、初対面の挨拶そのものではないが、注意が奪われる仕組みは同じ形をしている)。
つまり、覚えられないのではなく、そもそも入っていない。だとすれば、打つ手は「記憶力を鍛える」ではなく「入れる」になる。
その場で聞き返す。「すみません、もう一度お名前を」は、初対面の直後なら失礼にならない。むしろ関心の表明として受け取られる。三度目に聞くより、一度目に聞き返すほうがずっと安い。
すぐ口に出す。「○○さんですね」と一度返し、別れぎわにもう一度「○○さん、ありがとうございました」と使う。取り出す練習を、その場で二回する。
意味に結びつける。前の節で見たとおり、名前が弱いのはつながる先がないからだった。ならば無理やり作ればいい。同じ名前の知人、地名、漢字の形、その人の話した内容と結びつける。何でもよく、こじつけのほうがむしろ強い。
書く。名刺の裏でも、その日の予定表の隅でもいい。手を動かした情報は、聞き流した情報とは別の残り方をする。
そして最後に、いちばん効くかもしれないことを書いておく。覚えられなかったときに自分を責めない。前の節のとおり、責める癖は記憶力を上げないし、「自分は名前が覚えられない人間だ」という自己像だけを太らせる。その自己像があると、次に人と会うとき緊張が増え、また名前が入らなくなる。
どこからが、気にしたほうがいい物忘れか
ここまでは、ごく普通に起きることの話をしてきた。実際、ありふれている。
日本の地域に住む60歳以上676人を調べた2024年の調査では、日常の物忘れの訴えのうちいちばん多かったのが「友人や親戚の名前を忘れる」で、67.9%だった。三人に二人だ。名前が出てこないのは、多数派の経験である。
一方で、50歳以上479人を対象にした調査では、人の名前が出てこないことを問題として訴えた人は10.9%にとどまり、しかも年齢とも学歴とも関係がなかった。同じ調査で、言葉が出てこないという訴えは47.6%あった。名前が出てこないことと、言葉全般が出てこないことは、別の話として扱われている。
ここから先は、性格の話ではなくなる
目安は名前だけにとどまっているかだ。
①人の名前だけでなく、物の名前や普通の言葉も出てこなくなってきた。②直近の出来事が抜ける(昨日会った人がいたこと自体を覚えていない)。③よく知っているはずの人の顔と結びつかない。
認知的にはまだ正常な段階の人でも、「物の名前が出てこない」という訴えの強さが脳の指標と関連していたという報告がある(239人の追跡研究)。あくまで訴えの強さと指標の関連であって、訴えがあれば病気という話ではないが、名前だけでなく言葉全般に広がってきたら、一度診てもらうのが早い。
逆に言えば、「顔も、話した内容も、その人の仕事も覚えているのに、名前だけが出てこない」という状態は、この記事で見てきたとおり人間の記憶がもともと苦手にしていることであって、あなたの人間性の評価とは関係がない。
自分の感受性を、測ってみる
名前を忘れたことを、どれくらい重く受け止めるか。その感じ方の強さには、感受性(神経症傾向)の傾向が関わります。実際の記憶力とは別物です。自分がどのあたりにいるかを知っておくと、「また忘れた」と自分を責める回数を減らせます。
参考にした研究
- McWeeny KH, Young AW, Hay DC, Ellis AW(1987)「Putting names to faces」British Journal of Psychology DOI
- Cohen G(1990)「Why is it difficult to put names to faces?」British Journal of Psychology DOI
- Fresnoza S, ほか(2022)「Modulation of proper name recall by transcranial direct current stimulation of the anterior temporal lobes」Scientific Reports PubMed
- Brédart S, Geurten M(2020)「Strategies to resolve recall failures for proper names: New data」Memory & Cognition PubMed
- Evrard M(2002)「Ageing and lexical access to common and proper names in picture naming」Brain and Language PubMed
- James LE(2006)「Specific effects of aging on proper name retrieval」Journal of Gerontology: Psychological Sciences PubMed
- Brown AS(1991)「A review of the tip-of-the-tongue experience」Psychological Bulletin PubMed
- Zullo L, ほか(2021)「Factors associated with subjective cognitive decline in dementia-free older adults」International Journal of Geriatric Psychiatry PubMed
- Mulligan BP, ほか(2018)「Characteristics of older adults' within-person coupling of subjective cognitive function and objective performance」Journal of the International Neuropsychological Society PubMed
- Sarason IG(1984)「Stress, anxiety, and cognitive interference: reactions to tests」Journal of Personality and Social Psychology PubMed
- Zappalà G, ほか(1989)「Ecological memory assessment in normal aging」Clinics in Geriatric Medicine PubMed
- Shimokihara S, ほか(2024)「Association between subjective memory complaints in daily life and smartphone proficiency among community-dwelling middle-aged and older adults」Cureus PubMed
- Martins IP, ほか(2012)「How subjective are subjective language complaints」European Journal of Neurology PubMed
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