お礼が出てこない場面は、三つに分かれる
お礼を言わない人を一つにまとめると、対処を間違える。実際には、少なくとも三つの違う状態が混ざっている。
一つめは、してもらったこと自体に気づいていない。誰かが先に段取りを済ませていたから何も起きなかった、という種類の助けは、うまくいくほど見えなくなる。二つめは、気づいてはいるが当たり前になっている。役割だから、仕事だから、家族だから、と説明がついてしまうと、感謝は言葉の手前で止まる。三つめは、気づいていて、当たり前とも思っていないのに、言葉が出てこない。照れくさい、いまさら言うと大げさになる、認めたら負けた気がする。
前の二つは気づきの問題で、三つめは表現の問題だ。気づいていない人に「言い方を変えて」と言っても届かないし、言葉に詰まっている人に「気づいてほしい」と求めても、相手はすでに気づいている。
見分ける質問は一つでいい
「あれ、私がやっておいたよ」と事実だけを伝えてみる。「え、そうだったの」と返るなら気づきの問題。「うん、知ってる」と返って言葉が続かないなら表現の問題。責める言い方にすると、どちらの人も防御に回るので、口調は事実の報告にとどめる。
感謝は「してもらった」と気づくところから始まる
感謝は、受け取った量で決まるわけではない。同じ手助けでも、感謝が湧く人と湧かない人がいる。
Algoe、Haidt、Gable(2008)は、大学の女子学生の団体で、上級生から新入生へ贈り物が続く一週間を調べた。新入生は受け取ったものへの反応を記録し、週の終わりと一か月後に、相手との関係を評価した。感謝を予測したのは、贈り物の値段ではなく、「相手が自分のことをよく見て選んでくれた」という受け取り方だった。そして週のあいだの感謝は、その後の関係の良さを予測した。
ただし、これは特定の団体の、贈り物という限られた場面を調べた研究だ。職場や家庭のやり取りにそのまま当てはまるとは限らない。ここで使えるのは、感謝には「自分に向けられた行為だと気づく」段階が要る、という部分だけである。
そう考えると、お礼が出てこない人の一部は、冷たいのではなく、その段階でつまずいている。特に、先回りして負担を引き受けるやり方は、相手に何も起きなかったように見せてしまう。助けが見えないほど上手いと、感謝は起きにくい。これは助けた側の落ち度ではないが、事実として知っておくと、黙って背負い込む前に一度考え直せる。
この記事の話は、ビッグファイブでいう「協調性」と関わりがあります。自分の協調性がどのくらいかは、5分で測れます。
自分の協調性を測る(無料・登録不要)お礼が支えているのは、見られている感覚
お礼が返ってこないと、なぜこれほど消耗するのか。手伝った労力そのものは、すでに済んだことなのに、あとから疲れが増える。
GrantとGino(2010)は、感謝を伝えられた側がどう変わるかを実験で調べた。短いお礼の言葉を受け取った人は、その相手だけでなく、別の人からの頼みにも応じるようになった。効果を仲介していたのは、うまくやれたという有能感でも、気分の良さでもなく、「自分は価値のある存在として見られている」という感覚だった。管理職が感謝を伝えた職場の実験でも、同じ方向の結果が出ている。
裏返すと、お礼がないときに減るのは、役に立った実感ではなく、見られている感覚のほうだ。だから、報酬や成果でその穴は埋まらない。「してあげたのに」という言い方になりやすいが、本当に足りていないのは見返りではなく、認識されたという手応えであることが多い。
思い当たる場面は身近にある。家で毎日洗い物をしても何も言われない。職場で先に資料を直しておいても、直っていたこと自体が話題にならない。どれも失敗はしていないし、むしろ滞りなく回っている。それでも続けるうちに気力が落ちるのは、成果が出ていないからではなく、その成果が誰の手によるものか、誰の目にも留まっていないからだ。
ここで注意したいのは、この研究を相手を動かす道具の話にしないことだ。実験で効いたのは、相手を価値ある存在として見ている、という事実が伝わったことだった。次の頼みごとのために言う「ありがとう」は、同じようには届かない。
相手のしたことに気づいた、という合図だ。
協調性が低いからお礼を言わない、ではない
感謝の言葉が少ない人を、性格の一言で片づけたくなる。だが、研究はそこまで単純な形をしていない。
McCullough、Emmons、Tsang(2002)は、感謝しやすさを性質として測る尺度をつくり、四つの研究で調べた。感謝しやすい人は、前向きな感情や、人を助ける行動・特性と関連していた。ただし四つめの研究では、外向性、神経症傾向、協調性を統計的に取り除いても、その関連は残った。つまり感謝のしやすさは、ビッグファイブの五因子に置き換えられるものではない。協調性の点数から「この人はお礼を言わない」とは言えない。
診断結果は、断定ではなく、詰まりやすい場所を探す材料として使う。協調性が低めの人は、やり取りを取引として見て、対価が済んでいれば言葉は不要と考えることがある。外向性が低めの人は、思っていても声に出す量がもともと少ない。感受性(神経症傾向)が高めの人は、お礼を言うことが自分の至らなさを認めることのように感じられて、言葉が詰まる場合がある。誠実性が高めの人は、自分でやるのが当然だと考えるあまり、他人の手助けを「借り」として数えないことがある。
言葉の習慣も大きい。日本語では「すみません」で感謝を伝えることがあり、本人は礼を述べているのに、聞く側には謝罪としてしか届かないことがある。悪くないのに謝ってしまう人と同じで、使っている言葉の癖が、気持ちの量を正しく表していないことは珍しくない。
言う側と、言われない側にできること
言う側の手は、増やすことではなく、具体にすることだ。「ありがとう」だけだと、言った自分にも実感が残らず、相手にも届きにくい。そこに何が助かったかを一つ足す。「荷物、助かった」「先に確認してくれたおかげで直せた」。照れて感情を口にしにくい人は、気持ちではなく事実の形にすると出しやすい。うれしかったと言わなくていい。何が変わったかを言えばいい。
タイミングも、その場でなくてかまわない。時間が経ってから「あのとき助かった」と言われて、いやな気持ちになる人は少ない。言えなかった過去を数え直すより、次の一回を具体的にするほうが早い。
相手が家族や長い付き合いの同僚だと、いまさら改まるのが気恥ずかしい。その場合は、感謝の言葉として言おうとせず、報告の形にすればいい。「あれ、ずっと助かってる」で足りる。丁寧に言おうとするほど言えなくなる人は多い。
言われない側の手は、期待を黙って下げる前に、一度だけ言葉にすることだ。「気づいていないと思うけど、あれ、けっこう手間だったよ」。皮肉ではなく、事実として渡す。気づきの問題なら、これで変わることがある。表現の問題なら、変わらないかもしれない。それでも、伝えたという事実は自分の側に残る。
一度伝えても変わらないなら、相手を変えるほうへ力を使わない。やる量を、感謝がなくても割に合う範囲まで戻す。やめるという話ではなく、こちらが黙って背負っていた部分を、見える形に戻すということだ。先に片づけていたものを一度置いておく。手伝う前に「やろうか」と聞く。お節介と受け取られるほど先回りしていた人ほど、この調整は効く。
お礼は、上下を作る言葉ではない。相手がしたことに気づいた、という報告に近い。だから「言えない」の多くは、心が冷たいからではなく、気づく手前で止まっているか、言葉の形をまだ持っていないだけだ。自分がどちらでつまずきやすいかを知っておくと、言えなかった日に自分を責めずに済むし、返ってこなかった日に相手を嫌わずに済む。
自分がどこで詰まるかを知っておく
お礼が言えない・言われないを性格のせいにする前に、自分が気づきと表現のどちらでつまずきやすいかを見る材料として、ビッグファイブを測ってみてください。
参考にした研究
- Algoe SB, Haidt J, Gable SL(2008)「Beyond reciprocity: gratitude and relationships in everyday life」PubMed
- Grant AM, Gino F(2010)「A little thanks goes a long way: Explaining why gratitude expressions motivate prosocial behavior」PubMed
- McCullough ME, Emmons RA, Tsang JA(2002)「The grateful disposition: a conceptual and empirical topography」PubMed