「趣味がない」は欠陥ではない

趣味がないと言うと、「人生を楽しめていない人」という目で見られることがある。本人もそう思い込みやすい。だが冷静に考えると、ここで責められているのは「楽しむ力」ではなく、履歴書に書ける形の余暇を持っているかどうかでしかない。

性格心理学の視点から言えば、余暇の楽しみ方は人によって形が違う。ビッグファイブという性格モデルでは、人の性格を開放性(新しさへの反応)・誠実性(計画と自己管理)・外向性(刺激の求め方)・協調性(人への合わせ方)・感受性(不安の感じやすさ。神経症傾向とも呼ぶ)の5つで捉える。このうちどの数字が高いか低いかで、趣味の「入口」でつまずく場所が変わる

つまり「趣味がない」は結果であって、原因ではない。原因は、自分の性格に合わない入口ばかり試してきたことにある。世の中で「趣味の始め方」として紹介される方法は、たいてい新しいもの好きで、腰が軽く、人に見せることを楽しめる人向けに書かれている。そこに当てはまらない人が同じ入口から入れば、楽しくなる前に終わる。それだけのことだ。

つまずく場所は、性格で3つに分かれる

「趣味がない」と言う人の話をよく聞くと、止まっている場所が違う。大きく分けると3つのタイプがある。

タイプ関係する因子止まっている場所合う入口
心が動かない開放性が低いそもそも「やりたいこと」が浮かばない新しく探さず、慣れたことを深くする
始まらない誠実性が低い道具や計画の段階で力尽きる買わずに・調べずに、その日のうちに触る
人の目が先に立つ感受性が高い「下手だと思われる」が先に来る誰にも見られない場所から始める

自分がどのタイプかは、読みながら心当たりで判断してもいいし、診断で数字を出してから読み直してもいい。大事なのは、3つのタイプで処方が正反対になることだ。「まず形から入ろう」という定番の助言は、2番目のタイプには毒になる。「新しいことに挑戦しよう」という励ましは、1番目のタイプには的外れになる。順に見ていく。

この記事の話は、ビッグファイブでいう「開放性」と関わりがあります。自分の開放性がどのくらいかは、5分で測れます。

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新しいことに心が動かない人——探すのをやめる

開放性が低い人は、新しい体験そのものにあまり報酬を感じない。話題のスポットも、未体験のジャンルも、「行けば楽しいのだろうけど、腰を上げるほどではない」で終わる。この性格で「新しい趣味を探す」と、候補を眺めては閉じるだけの時間が続く。

ここで発想を変えてほしい。開放性が低いことは、飽きずに続けられることの裏返しでもある。この性格に向いているのは新奇性ではなく熟達だ。つまり、新しい何かを見つけるのではなく、すでに生活の中にあるものを深くする。

毎晩の料理を、いつもより一段だけ丁寧に作る。通勤で聴いている音楽を、同じ演者で年代順に聴き直す。近所の同じ道を歩いているなら、季節ごとの変化を記録してみる。傍から見れば地味だが、熟達には新奇性と別種の、静かに深くなっていく満足がある。「探しても見つからない」のは、探す方向が外に向いているからだ。この型の人の趣味は、外ではなく足元にある。

道具だけ買って終わる人——買う前に始める

誠実性が低い人のつまずき方は逆だ。心は動く。やりたいことも浮かぶ。ただ、始めるまでの段取り——道具を選び、環境を整え、計画を立てる——の途中でエネルギーが尽きる。あるいは道具を買ったことで満足して、押し入れに新品のヨガマットとキャンプ用品が眠っている。

この型の人への処方は一つに絞れる。道具を先に買わない。準備の工程は、この性格にとって趣味の入口ではなく障害物だからだ。絵を描きたいなら、画材を選ぶ前に、今日そのへんのボールペンで描く。走りたいなら、シューズを研究する前に、今の靴で5分走る。楽しさを先に体験してしまえば、道具は後から必要に迫られて揃う。この順番なら、道具が押し入れに行くことはない。

なお、始めたのに続かないという悩みは、これと似て見えて別の話だ。続かない悩みについては飽きっぽい性格の記事で扱っている。この記事で扱うのは、その手前——そもそも始まらない、楽しくなる前に終わるという段階の話だ。

人の目が先に立つ人——見られない場所から

感受性が高い人は、何かを始めようとした瞬間に、評価の視線を先取りしてしまう。「今さら始めて下手だったら恥ずかしい」「SNSに載せている人と比べてしまう」。楽しいかどうかを確かめる前に、見られたときの点数を計算してしまうのだ。

趣味の世界は今、発表と共有が標準装備になっている。走ればアプリが記録を公開しようとし、絵を描けば投稿を勧められる。感受性が高い人にとって、これは趣味のハードルを二重にする仕組みだ。

趣味は、誰かに見せた瞬間から採点が始まる。
だから最初の趣味は、誰にも見せなくていい

処方は、人に見られない趣味から始めること。誰にも報告しない散歩。投稿しない写真。家族にも言わない日記。読むだけの読書。整えるだけの植物。発表を前提にしなければ、性能の低い自分を人目に晒す不安は発生せず、楽しいかどうかだけを静かに確かめられる。見せるかどうかは、楽しくなってから決めればいい。それでも遅くない。

「何をやっても楽しくない」の境界線

ここまでは「趣味が始まらない」話をしてきた。だが、もう一段重い状態がある。以前は楽しめていたことまで楽しくなくなった、というケースだ。

好きだった音楽を聴いても何も感じない。食事の味がしない気がする。趣味どころか、風呂に入るのもおっくうになっている。こうした「楽しい」という感情そのものの減退が数週間続いているなら、それは性格の問題ではなく、心のエネルギーが下がっているサインの可能性がある。

受診の目安。興味や喜びの減退が2週間以上続く、眠れない・食欲がない、仕事や家事が手につかない——こうした状態が重なっているなら、性格分析より先に、心療内科・精神科など医療機関への相談を考えてほしい。この記事が扱えるのは「元気はあるが趣味がない」までで、その先は専門家の領分だ。

逆に言えば、仕事はこなせているし、友人との食事は楽しめているのに「趣味と呼べるものがない」だけなら、心配する話ではない。それはただの未対応であって、不調ではない。

すでにやっていることに、名前を付ける

最後に、いちばん簡単で、いちばん見落とされている方法を書いておく。趣味を新しく作るのではなく、すでにやっていることに名前を付けることだ。

毎週同じ配信者の動画を追いかけているなら、それはもう視聴が趣味だ。スーパーで調味料の棚を長く眺めるなら、料理の入口に立っている。寝る前に地図アプリで知らない町を眺める癖があるなら、立派な地理趣味だ。「趣味」という言葉のハードルを、上達・成果・発表があるものに設定しているから、自分の楽しみが趣味にカウントされていないだけ。そのハードルは誰が決めたものでもない。

趣味がない人に必要なのは、新しい体験の一覧表ではなく、自分の性格の数字と、いま既に楽しんでいることの棚卸しだと思う。入口さえ性格に合っていれば、楽しみは案外、静かに始まる。