日曜の夜、今日も玄関を開けていない

日曜の夜になって、今日は一度も玄関を開けていないことに気づく。洗濯をして、動画を見て、少し昼寝をした。悪い一日ではなかったはずなのに、月曜に「休み何してた?」と聞かれると口ごもる。「家にいた」と答えると、たいてい「もったいない」が返ってくる。

逆の人もいる。二日続けて家にいると落ち着かなくなって、行き先も決めずに車を出す。この人が責められることはまずない。「アクティブでいいね」で終わるので、自分の性質を疑う機会が来ない。

どちらも同じくらいはっきりした好みなのに、片方だけが直すべきものとして扱われている。この非対称が、ずっと引っかかっていた。

「インドア=内向的」が崩れる場所

インドア派は内向的で、アウトドア派は外向的。この等式は、例を二つ挙げた時点で崩れる。

ソロキャンプに行く人は、屋外にいる時間が長いのに、その日ほとんど誰とも話していない。一人で山に登る人、夜明け前の川に立つ釣り人も同じで、外へ向かう動機に「人と会う」が入っていない。

反対に、家から一歩も出ずに、毎晩四人で通話をつなぎながらゲームをしている人がいる。友人を呼んで鍋を囲む人も同じで、屋内にいながら人と濃く関わっている。外出の回数だけ数えたら、この人たちは「引きこもり」に分類されてしまう。

つまり「屋内か屋外か」と「一人か人とか」は、別々のつまみだ。世間はこれを一本のつまみだと思っていて、そこで話が食い違う。ここから先は、二本に分けて読んでいく。

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外に出るかどうかを決める3つのつまみ

休みの日にどこで過ごすかを決めているのは、少なくとも三つある。

一つめは外向性。人と会うと元気が湧いてくるか、楽しくても確実に減っていくか。人が多い場所は屋外にも屋内にもあるので、これは行き先の「人口密度」を決めるつまみになる。

二つめは開放性。知らない道、初めての店、予定になかった寄り道。ここに近づきたい人と、慣れた環境のほうが落ち着く人がいる。アウトドアが好きな人は、外向的というより、こちらが高いことが多い。一人で山に入る人は、人ではなく、新しい景色や身体の感覚を取りに行っている。

三つめは感受性(神経症傾向)。天気、渋滞、電波、虫、トイレの場所、読めない待ち時間。屋外は、自分で決められないものが一気に増える場所だ。これを負荷として強く受け取る人ほど、家が快適になる。家は温度も音も自分で決められて、いつでも終わりにできる。

道具と段取りが要る屋外趣味——キャンプ、釣り、登山——には誠実性も効く。「外が好きなはずなのに続かなかった」人は、外が嫌いなのではなく、装備を積み下ろす工程で降りている。

外に出ない理由は「人が苦手」だけではない。
環境を自分で決めたい、という理由のほうが多い。

同じインドア派に、正反対の2人がいる

さきほどの二本のつまみで並べると、休日の過ごし方は四つに分かれる。

充電のされ方疲れる場面
屋外 × 人と
(フェス・バーベキュー)
新しい場所と人の熱量の両方で上がる段取りが崩れたとき/一人になる時間が来ないとき
屋外 × 一人
(ソロキャンプ・釣り・散歩)
景色と身体の感覚で戻る日程と行き先を相手に握られたとき
屋内 × 人と
(宅飲み・ボードゲーム・通話ゲーム)
人と濃く話せる。環境は自分の側に置きたい人数が増えて場が浅くなったとき
屋内 × 一人
(読書・制作・没入ゲーム)
静けさと没入で戻る予定が細切れで、まとまった時間が取れないとき

見てほしいのは、自分がどこに入るかより、二段目と四段目が正反対に分けられていることのほうだ。ソロキャンプの人と家で本を読む人は、人との距離の取り方がほとんど同じで、環境の好みだけが違う。それでも片方は「アクティブ」、片方は「出不精」と呼ばれる。

「出たくない」と「出られない」の境界線

ここが、この話でいちばん分けたいところだ。

家にいる理由には二種類ある。一つは、一人で過ごす時間そのものが快適で、自分で選んでいる場合。もう一つは、行きたい気持ちはあるのに、支度と移動と人の目を考えると気後れして、結局やめてしまう場合だ。

外から見ると、どちらも「休みの日に家にいる人」で、区別がつかない。心理学の研究でも、この二つは別の動機として分けて扱われていて、その後の落ち込みやすさとの関係も同じではないことが報告されている。まとめて「インドア派」と呼んだ瞬間に、話がずれ始める。

見分け方は難しくない。誘いを断ったあとの気分を見ればいい。断ってほっとして、予定どおりの夜がそのまま始まるなら前者。断った直後に取り残された感じが残って、その夜ずっと引っかかっているなら後者だ。

前者は直すものではない。回復の仕方が家にあるだけで、それで生活は回っている。後者で手を入れるべきなのは、外出の回数ではなく、気後れが起きている場所のほうだ。支度が面倒なのか、移動が不安なのか、その場で浮くのが怖いのか。ここを飛ばして回数を数え始めると、断るたびに失点が増える形になって、かえって出にくくなる。

断ったあとにほっとするなら、その休み方は合っている。

引っかかりが残るなら、直す先は外出の回数ではなく、気後れの中身のほうだ。

効くのは「外に出よう」ではなく、予測できる形にすること

緑のある場所で過ごすと気分が整う、という報告は多い。木の多い道を歩いたあとに落ち着くのは、インドア派でも同じだ。一方で、自然への親しみやすさと性格特性のつながりはそれほど強くない、という報告もある。性格は入口の広さを変えるだけで、効き目そのものは打ち消していない。

だから「インドア派には自然が効かない」わけではない。効いていないのは、「もっと外に出よう」という掛け声のほうだ。

インドア派にとっての負担は、屋外そのものより予測できなさにある。それなら、増やすのは外出の量ではなく予測可能性のほうでいい。行き先を先に決めておく。近所にする。三十分で帰れる範囲を選ぶ。人が少ない時間帯にする。人と会うときは、帰る時刻を集合前に伝えておく。

実感として、いちばん効くのは最後の一つだと思う。終わりが見えている外出は、途中で消耗しても最後まで持つ。

ラベルは季節で入れ替わる

インドア派かアウトドア派かは、思っているほど固定されていない。夏は出たくないが秋は歩きたい、仕事が詰まっている時期は家から動きたくない、子どもが小さいうちは外、独立したら家。住んでいる場所でも変わる。歩いて五分に川があるかで、散歩の回数はまるで違う。

子どもの頃は外で遊んでいたのに今は家にいる、という人は多い。性格が変わったのではなく、条件が変わっただけのことがほとんどだ。当時は歩いて行ける場所に、友達と広場があった。

そのうえで、量が合わない相手と暮らすときの実務を三つ。

一つめ、同じ日に同じ量を求めない。片方が出かけ、片方が家に残る休日があっていい。全部合わせると、どちらかが必ず削られる。

二つめ、予定を片方が全部決めない。決めた側は満足度が高く、乗っただけの側には疲れが残る。行き先を決める番を回すといい。

三つめ、「行かない」を人格の否定として伝えない・受け取らない。「あなたと行きたくない」ではなく「その形だと疲れる」。人数を減らす、時間を短くする、現地集合にする。形を変えれば行ける、というケースは思っているよりずっと多い。

自分の三本のつまみがどこにあるかは、休日の過ごし方から逆算しても案外わからない。「家が好き」の中身が人の量なのか予測できなさなのかで、打つ手がまるで変わる。思い込みで決めるより、測ってしまったほうが早い。

参考にした考え方