経営・管理って、実際に何をしている仕事なのか
経営・管理と一口に言っても、イメージは人によってかなり違う。「会議ばかりしている人」「社長のことだろう」「部下に指示を出している人」。どれも一部ではあるが、どれも全体像ではない。
経営・管理の仕事を一番シンプルに言うなら、「組織の方向性を決め、成果を出すこと」だ。商品を作るのは開発、売るのは営業、広めるのはマーケティング。経営・管理はそれら全部を束ねて、「会社としてどこに向かうのか」「何にリソースを割くのか」を決める役割だ。
日本の企業における「管理職」というと、課長や部長といった役職を思い浮かべる人が多いだろう。実際、日本の管理職の多くはプレイングマネージャーで、自分の業務を持ちながらチームや部門の管理も兼務している。アメリカの企業のように「マネジメントに専念する」形ではなく、自分も手を動かしつつ部下の面倒も見る、という二重の負担を背負っていることが多い。この「管理もするし自分の仕事もする」というスタイルは、日本特有のものだ。欧米の企業では管理職になると実務から離れるのが一般的だが、日本では「現場を知っている管理職」が求められる。だから管理職になっても現場の仕事を持ち続ける。
経営と管理も、実は少し違うものだ。「経営」は会社や事業全体の方向性を決めることで、社長や役員、事業部長クラスが担う。「管理」は決まった方向性に沿って組織を動かすことで、課長や部長が担う。ただ現実には、この境界は曖昧だ。中小企業なら社長が現場の管理まで手がけるし、大企業でも中間管理職が経営的な判断を求められる。厳密に分けるよりも、「組織を動かすために判断を下す仕事」として捉えた方が実態に近い。
1日の仕事を追ってみると、何をしているのかが見えてくる。
意思決定の連続が一番の特徴だ。朝一番で昨日の売上データを確認し、数字が悪ければ「何か手を打つべきか、様子を見るか」を判断する。部下から上がってきた企画書に目を通し、「GOかNOか」を出す。予算配分のリクエストが複数の部署から来ていて、どれを優先するかを決める。取引先からの提案に対して、自社にとってメリットがあるかどうかを即座に判断する。1日に何十もの判断を求められ、その一つ一つに「なぜその判断をしたのか」が問われる。
ここで大事なのは、経営・管理における「決断」は、「選択肢から一つを選ぶ」だけではないということだ。決断には「何もしない」という選択肢も含まれる。「今は動かない方がいい」と判断するのも決断だ。何か案が来るたびに飛びつく管理職は、逆に組織を振り回す。「今は手を打たず様子を見る」という静かな決断の方が、時に難しい。目に見えるアクションを取っていないと「何もしていない」と批判される惧れがあるからだ。でも「今は動かない」と判断したことには、それなりの根拠と説明責任が伴う。決断には行動も静止も含まれている。
「正解がある決断」ならまだ楽だ。売上が前年比で落ちているなら、何か手を打てばいい。でも経営・管理で求められる決断の多くは「正解がわからない」ものだ。新規事業に投資するかどうか、どの市場にリソースを集中するか、人員をどの部署に配置するか。答えが出るのは後から振り返った時で、決断の瞬間には誰にも正解がわからない。その不確実性の中で決断を下し続けるのが、経営・管理の核心だ。
例えば、新しいプロジェクトに人員を3人割くかどうかを考えてみる。割けばそのプロジェクトが加速するかもしれないが、既存の業務を抱えているメンバーの負担が増える。割かなければプロジェクトは遅れるが、既存業務の品質は保たれる。どちらが正解かは、プロジェクトが成功するかどうかでしか判断できない。でも決断は今しなければならない。こういう「情報不足のまま決める」場面が毎日のように訪れる。
予算管理も大きな仕事だ。組織を動かすには金がかかる。人件費、設備投資、マーケティング予算、外部委託費。限られた予算をどう配分するかで、組織の方向性が決まる。「営業にもっと予算を」という要望と、「開発にも投資が必要だ」という要望が同時に来る。どちらも正しい。でも予算は有限だ。どちらを優先するか、あるいはどう折り合いをつけるか。予算配分は、経営・管理における最も具体的な「意思決定」の形だ。
予算管理で一番難しいのは、「今の利益」と「未来への投資」のバランスだ。今期の利益を最大化しようとすると、将来のための投資を削ることになる。逆に将来への投資に回すと、今期の利益が減る。どちらに傾けるかは、経営・管理の判断に委ねられる。このバランスをどう取るかで、組織の3年後、5年後の姿が変わってくる。日本の企業では短期的な利益を重視しすぎて長期的な投資を怠り、結果として競争力を落とすケースが少なくない。逆に、投資に偏りすぎて目先の業績を圧迫するケースもある。この兼ね合いが予算管理の醍醐味であり、一番悩ましいところだ。
部門をまたぐ調整も意外と時間を取られる。日本の企業は部門間の壁が厚いことが多い。営業部門と開発部門で認識が食い違っている、マーケティング部門と営業部門で優先順位が違う。こうした部門間の対立やズレを調整するのが管理職の役割だ。調整がうまくいかないと、組織全体のパフォーマンスが落ちる。情報が共有されず、同じ問題に別々の部門が別々の対応をして無駄が生じる。管理職が「横串を刺す」役割を果たしているかどうかで、組織の動き方が全然違う。
具体的にどういうことか。営業部門が「顧客からこんな要望が来ている」と言っているのに、開発部門は「そんな機能は技術的に難しい」と返す。マーケティング部門は「この時期にキャンペーンを打ちたい」と言うのに、営業部門は「その時期は繁忙期でリソースが割けない」と反対する。こういう対立は日常茶飯事だ。どちらも自部門の立場から言っていることで、どちらも間違っていない。でも両方の言い分を聞いた上で、「じゃあどうするか」を決めるのが管理職の仕事だ。時に営業の要望を優先し、時に開発の事情を優先する。その判断の根拠を説明し、両方に納得してもらう。これが一番エネルギーが要る仕事だ。
リーダーシップというと「カリスマ性」や「人を惹きつける力」を思い浮かべる人もいるだろう。確かにそれはある面では役に立つ。でも実際の管理職に求められるリーダーシップはもっと地味なものだ。部下が困っている時に相談に乗る。チームの方向がブレている時に軌道修正する。誰かがミスをした時に、責任を自分が引き受けて前に進める。発表会でチームの成果を代表して説明する。こういう日々の積み重ねがリーダーシップの正体だ。ドラマチックな局面より、毎日の地道な関わり方が組織を動かしている。
人材育成も見落とせない仕事だ。管理職は「今の戦力」を使うだけでなく、「未来の戦力」を育てる役割もある。部下にどんな経験を積ませるか、どのプロジェクトにアサインするか、何を任せて何をサポートするか。これらの判断が、1年後、3年後の組織の戦力を決める。日本の企業では、OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)の比重が大きい。つまり管理職が日常の業務を通じて部下を育てる。だから管理職の育成能力が、そのまま組織の成長力につながる。
そして、危機対応だ。業績が急激に落ちた、主要顧客を失った、部下にトラブルが起きた、競合が予想外の動きをした。こうした予期せぬ事態に直面した時、管理職がどう振る舞うかで組織のダメージが全く違う。パニックにならず、現状を整理し、優先すべき対応を決め、部下に指示を出す。この「嵐の中で舵を握る」役割は、経営・管理の中でも一番の重圧だ。
日本の管理職の年収は、企業規模や業界によって大きく幅がある。中小企業の課長クラスで600万円前後、大企業の部長クラスで1000〜1200万円を超えることもある。役員クラスになるとさらに上がる。ただし、年収が上がる分だけ責任も重くなる。成果が出なければ自分の責任として問われるし、部下のミスも最終的には自分の管理責任だ。給与と責任のバランスをどう見るかは、人によって評価が分かれるところだ。
日本の企業では、管理職手当という形で月に数万円〜十数万円の手当がつくことが多い。でも残業代がつかなくなる「みなし残業」の対象になることもある。管理職になってからの方が働く時間が長いのに、手取りは変わらない、あるいは減る、という人もいる。この「管理職の割に合わなさ」は、日本のビジネス文化でよく指摘される問題だ。責任は重くなるのに、収入の増加分は限定的。それでも管理職を目指す人が絶えないのは、「役職がつくこと自体」が社会的な評価として機能しているからだと思う。
経営・管理の仕事で特徴的なのは、成果が見えにくく、責任だけが目立つという構造だ。部下が良い成果を出した時、「マネジメントが良かった」とはあまり言われない。「あの人は優秀だ」で終わる。でも部下がミスをした時は、「管理が甘かったのでは」とすぐに指摘される。組織がうまく回っている時は誰も管理職の仕事に気づかないが、組織が停滞すると真っ先に疑われる。この非対称性は、経営・管理のポジションの独特なところだ。
もう一つ、日本の管理職特有の事情がある。それは「管理的な仕事」と「自分の業務」の両立だ。日本の企業では、管理職になっても自分で手を動かす業務を持ち続けることが多い。部下の仕事を管理しながら自分の案件も進める。会議に出ながら自分の資料も作る。プレイングマネージャーという言葉がある通り、マネジメントと実務の二刀流を求められる。これは海外の管理職モデルとかなり違う。欧米ではマネジメントに専念するのが一般的だが、日本では実務も求められる。この二重負担が、管理職の疲弊を招いているという指摘は少なくない。
もう一つ、管理職の孤独についても触れておきたい。組織の上に上がるほど、本音で話せる相手が減る。上層部には弱音を見せられない。部下には不安を悟らせたくない。同僚はライバルでもある。結果として、「誰にも相談できない決断」が増える。社長や事業部長クラスになると、なおさらだ。「組織のトップは孤独だ」という言葉は、決して大げさではない。自分の判断に自信がなくても、それを表に出せない場面がある。この孤独感に耐えられるかどうかも、経営・管理に向いているかを左右する要素だと思う。
経営・管理に向いている人は、この「正解のない判断」を苦にしない。むしろ「自分で決められる」ことにやりがいを感じる。逆に向いていない人は、「正解のない状態」にずっと置かれることに強いストレスを感じる。向き不向きの差が一番はっきり出るのが、この「不確実性への耐性」だと思う。
日本の企業で管理職になると、残業時間が劇的に増える人がいる。朝早くから会議が始まり、日中は部下の相談や他部署との調整に追われ、自分の作業は夜にならないと手がつけられない。平日の夜も接待や会合がある。土日も休めないことがある。このペースを何年も続けられるか。体力的な問題だけでなく、精神的なキャパシティの問題でもある。毎日たくさんの決断を下し、たくさんの人と関わり、たくさんの責任を背負う。この負荷に耐えられるかどうかは、性格の傾向と深く関係している。
ビッグファイブで見る経営・管理に向いている性格
経営・管理に向いている人を「決断力がある人」「リーダーシップがある人」と片付けるのは簡単だ。でも「決断力がある」ってどういうことか。ビッグファイブの5つの因子から、経営・管理のプロセスのどこにどう影響しているのかを整理する。
誠実性が高い人:最後まで責任を持ってやり切る
経営・管理で一番大事なのは、誠実性(Conscientiousness)の高さだ。ビッグファイブの研究でも、管理職との相関では誠実性が最も高いβ値(0.28)を示している。
誠実性が高い人は、約束を守り、期限を守り、決めたことを最後までやり切る。これは経営・管理において致命的に重要だ。なぜなら、管理職が「決めたことをやらない」と組織全体が機能しなくなるからだ。部下は管理職の決定に従って動く。もし管理職が言ったことを忘れたり、方針をコロコロ変えたりしたら、部下はどう動いていいかわからなくなる。
日本の企業では特に、方針の一貫性が重視される。「腹が決まっているか」という言い方がある通り、管理職には「決めたらブレない」姿勢が求められる。部下は管理職の言動をよく見ている。言葉と行動が一致しているか、言ったことを覚えているか、前に言ったことと矛盾していないか。これらをチェックしている。誠実性が高い管理職は、この部下のチェックに耐えられる。言行一致しているから、部下からの信頼も厚くなる。
予算管理も誠実性が直結する。経費の精査、予算の執行状況の確認、投資対効果の追跡。こうした地味だが重要な管理業務を確実にこなすのは、誠実性が高い人の得意分野だ。逆に、誠実性が低い管理職は予算管理が雑になりがちで、「何にいくら使ったか」が把握できていない状態に陥る。
また、誠実性の高さは「規律」を組織にもたらす。管理職自身が時間を守り、ルールを守り、約束を守っていると、部下もそれに倣う。「上の人がちゃんとしているなら、自分もちゃんしよう」という心理が働く。管理職の誠実性は、組織全体の規律のベースラインになる。
もう一つ見落とせないのは、誠実性の高い管理職は「フォローアップ」が確実だという点だ。部下にタスクを任せたら、途中でどうなっているかを必ず確認する。できていれば褒め、できていなければサポートする。この「任せっぱなしにしない」姿勢が、部下の安心感につながる。「この人の下で働いていれば、放っておかれることはない」という信頼関係ができる。誠実性は「管理」の根幹だ。
外向性が高い人:組織を動かすエネルギー
外向性(Extraversion)も経営・管理では高いβ値(0.28)を示している。外向性が高い人は、人と関わることにエネルギーを使える。会議で発言する、部下と個別に話す、他部署と調整する、取引先と交渉する。経営・管理の仕事の大部分は「人とのやり取り」で構成されている。
日本の企業では特に、外向性が高い管理職の方が組織を動かしやすい。なぜか。日本の組織は「合意形成」の比重が大きいからだ。何か新しいことをやる時、関係者の理解を得て、納得してもらって、協力してもらう。この合意形成のプロセスに、外向性の高さが役に立つ。色々な人に声をかけ、話を聞き、説明し、説得する。この一連のやり取りに疲れを感じないのが外向性が高い人の特徴だ。
欧米の企業なら「これが方針だから従ってくれ」で済むことが、日本の企業では「なぜこの方針なのか」「あなたの部署にはどう影響するのか」を丁寧に説明しないと動いてもらえない。この説明コストが日本の管理職にはかかる。外向性が高い人は、この説明コストを負担に感じない。むしろ「自分の考えを伝えて理解してもらう」プロセスを楽しめる。これが日本の組織では大きなアドバンテージになる。
部下のモチベーション管理にも外向性が関わる。チームの雰囲気を作る、励ます、時には叱る。感情を表に出して部下と接することで、チームにエネルギーが伝播する。無口で部屋にこもっている管理職より、フロアを出歩いて部下と話す管理職の方が、チームの士気が高い傾向がある。もちろん外向性が低くても良い管理職はいる。ただ、日本の組織文化では「顔を出す」「声をかける」ことの比重が大きいのは事実だ。
実際の日本企業の現場を見ていると、外向性が高い管理職は「情報のハブ」になりやすい。色々な人と話すから、色々な情報が入ってくる。A部署で起きた問題がB部署にも影響するという情報を、管理職がいち早くキャッチできる。この「情報の広がり」は、組織を動かす上で大きな武器になる。問題が起きる前に察知し、事前に対策を打てるかどうかは、どれだけ情報を持っているかにかかっている。
情動安定性が高い人:プレッシャーの中で冷静さを保つ
情動安定性(Emotional Stability)も経営・管理ではβ値0.22と高めだ。情動安定性が高いということは、神経症傾向(Neuroticism)が低いということ。ストレスや不安に強く、感情のコントロールが効きやすい状態だ。
経営・管理は常に何らかのプレッシャーの中にある。業績が悪化している時、部下の間でトラブルが起きた時、取引先との関係がこじれた時。そうした局面でパニックになったり感情的になったりすると、判断の質が下がる。冷静さを保ち、「今何をすべきか」を考え続けるためには、情動安定性の高さが不可欠だ。
特に日本の企業では、上部からのプレッシャーが強い。上層部から「なぜ業績が落ちているのか」と問われ、説明責任を果たす。同時に部下からは「もっとサポートしてほしい」と要望される。上からも下からも圧力がかかる状態で、自分自身の感情を保ちながら的確な判断を下し続ける。これができるのは情動安定性が高い人だ。
情動安定性の高さは「決断の遅れ」を防ぐ効果もある。不安や恐怖があると、人は決断を先延ばしにする。「もっと情報が欲しい」「もう少し様子を見よう」。もちろん慎重さは必要だが、経営・管理では「決めないこと」のコストも大きい。決断が遅れると部下は動けず、機会を逃す。情動安定性が高い人は、不安に引っ張られずに「今できる最善の判断」をタイミングよく下せる。
自分の観測範囲で言うと、長く管理職を務めている人は概ね情動安定性が高い。大きなトラブルが起きても「まあ何とかなるだろう」という余裕がある。逆に情動安定性が低い人は、プレッシャーがかかると委縮してしまい、決断が遅れたたり、部下に八つ当たりしてしまったりする傾向がある。
情動安定性の高さは、部下にとって「安心感」にもつながる。「この上司の下なら、失敗しても怒鳴られたりはしない」「冷静に対応してくれる」という安心感があるから、部下は大きな挑戦ができる。逆に情動安定性が低い管理職の下では、部下は「失敗したらどうしよう」とビクビクしながら仕事をする。リスクを取ることを避け、安全策ばかりを選ぶようになる。組織のイノベーションは、管理職の情動安定性の高さに支えられている部分が大きい。
開放性が中程度以上の人:状況変化に対応する柔軟さ
開放性(Openness)はβ値0.18で、他の因子よりは低いが無視できない数値だ。経営・管理では「これまでのやり方」が通用しなくなることがある。市場環境が変わる、技術が変わる、働き方が変わる。こうした変化に対して「新しいやり方を試してみよう」と思えるのが開放性の高さだ。
ただし、開放性があまりに高いと、逆に方向性がブレるリスクがある。「次々と新しいことをやりたがる」管理職は、組織を混乱させる。今やっていることに集中させず、常に別のアイデアに飛びつく。だから経営・管理に向いているのは、開放性が「高すぎず低すぎず」の中程度以上の人だと言える。新しい手法には興味を持つが、既存のやり方の良さも理解できる。このバランス感覚が経営・管理では求められる。
開放性が適度にある管理職の良いところは、「部下の新しいアイデアを受け入れる土俵がある」ことだ。若手社員が「こんなやり方を試したい」と言った時、「面白そうだね、やってみて」と言えるか、「そんなことより今の仕事をやれ」と却下するか。この差は、チームのイノベーションに直結する。開放性が中程度以上ある管理職の下では、部下が挑戦しやすい環境ができる。
開放性が高い管理職は、異なる業界や領域の知識を組み合わせるのも得意だ。他社の事例を見て「うちにも応用できるかもしれない」と思いつく。全く関係のない分野のアプローチを、自社の問題に当てはめてみる。こういう横のつながりを想像する力は、経営判断において予想以上に役に立つ。答えは意外と「別の業界」に転がっていることが多いからだ。
逆に言うと、開放性が低い管理職は「自分の業界の中だけで考える」傾向がある。「うちの業界は特殊だから」「他社のやり方は参考にならない」。この思考停止が一番危ない。日本の製造業で「ガラパゴス化」と呼ばれる現象は、まさにこの思考の結果だ。国内の常識にとらわれて、世界の変化に目を向けない。開放性が適度に高い管理職は、こうした「業界の常識」を疑う視点を持っている。
協調性が中程度の人:バランスを取る力
協調性(Agreeableness)はβ値0.06と、ビッグファイブの5因子の中で最も低い相関だ。これは意外に思えるかもしれない。「人に優しい管理職」が良い管理職なのではないか。でもデータはそう言っていない。
協調性が高すぎる管理職の問題点は、「誰の意見にも同意してしまう」ことだ。部下Aの提案も「いいね」、部下Bの反対意見も「わかる」、上層部の指示も「はい」と受け入れる。結果として、何が正しい方向なのかが曖昧になり、組織が迷走する。日本の企業では「角を立てない」ことを重視する傾向があるため、協調性が高すぎる管理職は「誰の顔色も伺う」状態に陥りやすい。
逆に協調性が低すぎる管理職は、部下との関係が悪くなる。意見を押し付ける、フィードバックが辛辣すぎる、部下の感情を無視する。これも組織のパフォーマンスを下げる。協調性が中程度、つまり「人の意見は聞くが、最終的な判断は自分で下す」バランスが、経営・管理では機能する。部下の話に耳を傾けつつ、時には反対意見を押し切る強さも持つ。このバランスが取れている人が、組織をうまく動かせる。
日本の企業文化で面白いのは、「協調性が高すぎる管理職」と「協調性が低すぎる管理職」で、どちらが組織のダメージが大きいかということだ。直感的には「低すぎる方」が悪そうに思えるが、実際は「高すぎる方」のダメージも大きい。低すぎる管理職は部下がすぐに離れていくから、組織としての崩壊が早く目に見える。でも高すぎる管理職は、表面上はうまくいっているように見える。部下との関係も良好だし、誰も文句を言わない。でも組織としての成果が出ない。方針が定まらず、何も決まらない。この「静かな崩壊」に気づくのが遅れることがある。
ここまで5因子を見てきた。整理すると、経営・管理に向いている人は「誠実性が高く、外向性が高く、情動安定性が高い」。この3因子が揃っていると、責任を最後まで果たし、人を動かし、プレッシャーの中でも冷静さを保てる。開放性と協調性は中程度で十分だ。これがビッグファイブから見た「経営・管理に向いている性格」の全体像だ。
この記事の話は、性格の5つの因子(ビッグファイブ)で読み解けます。自分の傾向は5分で測れます。
ビッグファイブ診断を受ける(無料・登録不要)向いていない人が陥りやすいパターン
経営・管理のポジションに向いていない人が、無理にその役割を担った時に何が起きるか。いくつか典型的なパターンを見ていく。
誠実性が低くて、決めたことが守れないパターン
「方針は決めた。でも3日後には忘れている」。これが一番多いパターンだ。月曜日の会議で「今後は〇〇の方針でいく」と宣言したのに、金曜日には別の方針を言っている。部下はどちらに従えばいいかわからない。
このパターンの怖いところは、管理職本人が自分の矛盾に気づいていないことだ。「その時その時でベストな判断をしているつもり」なのだが、外から見ると一貫性がない。部下からすると「この人の言うことは毎回変わるから、真面目に聞かなくていいや」となってしまう。一度こうなると、管理職としての信頼は回復が難しい。
予算管理も同じ問題が起きる。決めた予算をオーバーしても「まあいいか」で済ませてしまう。あるいは、予算の使い道をきちんと記録せず、期末に「あれ、いくら使ったっけ」となる。組織の金を預かっている自覚が薄い。誠実性の低さは、管理職として一番致命的な弱点だ。
さらに厄介なのは、このパターンの管理職は「その場の雰囲気で決める」傾向があることだ。会議で勢いよく「よし、やろう」と言ったものの、会議室を出た後には別のことを気にしている。部下が「あの件、どうなりましたか」と聞きに来ても「ああ、あれね。えーと」と思い出せない。こういうことが繰り返されると、部下は「この人に相談しても無駄だ」と学習する。情報が上がってこなくなり、管理職はさらに現場の実情から遠ざかる。悪循環だ。
誠実性が低い管理職のもう一つの特徴は、「完了」の基準が甘いことだ。仕事を「やった」ことと「完了した」ことを混同する。部下に「〇〇の件、進んだ?」と聞かれて「ああ、メールしたよ」と答える。でもそのメールの内容が不十分だったり、相手からの返事を確認していなかったりする。「やった」ではなく「完了した」ことが大事なのに、その差を意識していない。管理職の仕事は「完了」まで持っていくことで、「途中で投げた」では意味がない。
情動安定性が低くて、プレッシャーに押しつぶされるパターン
業績が少しでも悪化すると、途端に不安が顔に出る。「どうしよう、このままじゃまずい」とオロオロしている。部下は管理職の不安を敏感に察知する。「この人、大丈夫か」と思った瞬間に、チームの士気が下がる。
このパターンは、上層部からのプレッシャーがある時に顕著になる。日本の企業では、四半期ごとに業績説明を求められることが多い。「前年比で〇%落ちている理由を説明しろ」と言われた時、情動安定性が低い管理職は防衛的になる。「部下が頑張っていないからだ」と部下のせいにしたり、「市場環境が悪いからだ」と外部のせいにしたりする。自分で原因を分析し、改善策を提示するのではなく、責任を誰かに押し付けようとする。これが続くと、部下は「自分が責任を被るかもしれない」と警戒し、管理職との距離が開く。
精神的な余裕がないと、部下への対応も雑になる。部下が相談に来ても「今忙しいから後で」と後回しにするか、短気に切ってしまう。余裕がない時の人は、他人に優しくできない。管理職に求められる「部下を支える」役割が、まず最初に破綻する。
しかもこのパターンの管理職は、部下の離脱を招きやすい。情動安定性が低い管理職の下で働く部下は、常に「上機嫌な時と不機嫌な時の差が激しい」と感じている。同じミスをしても、ある時は「まあいいよ」と笑って済ませて、別の時は激怒する。部下は「今日はどんな機嫌だろうか」と管理職の顔色を伺うようになる。これが続くと、有能な部下から順に辞めていく。「人間関係の問題」で離職する社員の多くは、直属の上司との関係に問題があるケースが多い。管理職の情動の不安定さは、組織の人的資源をむしばむ。
外向性が低くて、組織を動かせないパターン
これは少し複雑だ。外向性が低くても良い管理職はいる。ただ、日本の企業では外向性が低い管理職が不利になる場面が多い。
一つは、情報収集の問題だ。外向性が低い管理職は、自分から人に話しかけることが少ない。結果として、現場で何が起きているかの情報が入ってこない。部下が困っていても気づかない。トラブルが起きていても、手遅れになってから知る。情報は「来るのを待つ」のではなく「取りに行く」必要があるが、それが苦手なのだ。
もう一つは、存在感の問題だ。日本の組織では、管理職が「見えている」ことが重要だ。会議で発言している、フロアを歩いて部下の様子を見ている、トラブルの時に先頭に立っている。「この人がリーダーだ」と周囲が認識できる存在感がないと、組織に安心感が生まれない。外向性が低い管理職は、部屋にこもって作業していることが多く、部下からすると「何を考えているかわからない」「頼りがない」と映ることがある。
ただし、これは日本の組織文化の問題でもある。欧米のような「マネージャーは静かに判断を下す」という文化なら、外向性が低くても機能する。日本のように「顔を出す」「声をかける」ことが求められる環境では、外向性の低さがハンディになりやすい。文化と性格のミスマッチという側面もある。
外向性が低い管理職が陥りやすいもう一つの罠は、「判断を回避する」ことだ。人と話すのが苦手だから、決めるべきことを先延ばしにする。部下同士の対立を放置する。他部署との調整を避ける。「このまま放置していればそのうち解決するだろう」と思い込む。でも大抵の問題は放置すると大きくなる。早期に手を打てば小さな済んだものが、手遅れになってから大きな問題になる。外向性の低さが「問題の先送り」を生み、それが組織のダメージを広げる。
ただし、ここで一つ公平に言っておくべきことがある。外向性が低い管理職にも明確な強みがある。それは「よく聞く」ことだ。外向性が低い人は、話すより聞く方が得意なことが多い。部下の話をじっくり聞き、相手の感情に寄り添う。これは部下との信頼関係を築く上で非常に価値のあるスキルだ。外向性が高い管理職は「話す」のが得意だが、「聞く」のがおろそかになることがある。自分の考えを一方的に伝えて、部下の言葉を聞いていない。外向性が低い管理職はこの逆で、部下の言葉を丁寧に拾い上げる。この強みを自覚して活かせれば、外向性が低くても立派な管理職になれる。
協調性が高すぎて、誰の意見にも流されるパターン
これは日本の企業で非常に多いパターンだ。本人は「みんなの意見を尊重している」と思っているが、外から見ると「軸がない」状態になっている。
典型的なのは、部下同士で意見が対立した時に決められない管理職だ。Aさんは「この方向で進めたい」と言い、Bさんは「いや、こっちがいい」と反対する。協調性が高すぎる管理職は「両方ともいいところがあるね」と濁して、結論を出さない。あるいは「じゃあ両方やろう」と妥協して、リソースが分散してどちらも中途半端になる。
上層部との関係でも同じことが起きる。上層部から「〇〇をやってほしい」と言われると、「はい、わかりました」と即座に受け入れる。でもそれは現場にとって非現実的な指示かもしれない。現場の実情を上層部に伝えて調整するのが管理職の役割なのに、協調性が高すぎると「上の人に逆らえない」状態になる。結果として、現場は無茶な要求を押し付けられ、疲弊していく。
このパターンの管理職は、「悪い人」ではない。「優しい人」だ。だから部下も最初は「話しやすい人だ」と好印象を持つ。でも時間が経つにつれて、「この人は自分を守ってくれない」「意見を押し切ってくれない」と気づく。優しさと強さは別物で、管理職には両方が必要だ。
協調性が高すぎる管理職のもう一つの問題は、「評価が甘くなる」ことだ。部下の成果を評価する時、誰にも悪い思いをさせたくなくて、全員に平均的な評価をつけてしまう。頑張った人もサボった人も同じ評価なら、頑張る意味がない。結果として、優秀な部下のモチベーションが下がる。「頑張っても評価に反映されないなら、ほどほどにしよう」となる。組織全体のパフォーマンスが下がるのは、こういうところからだ。
日本の企業では、この「評価の甘さ」が構造的に起きやすい。なぜなら、日本の評価制度では「相対評価」ではなく「絶対評価」の側面が強いからだ。「この人は頑張っていたから悪い評価はつけられない」という感情が入り込む余地が大きい。協調性が高い管理職は、この感情に引っ張られやすい。「あの人は家族もいるし、低い評価をつけたら生活に響くかもしれない」と余計なことを考え始める。評価は事実に基づいて客観的に行うべきだが、協調性が高すぎると感情が先に来てしまう。
開放性が低すぎて、変化に対応できないパターン
「昔はこれで上手くいったから、これからもこれでいい」。この考え方が通用する時代は終わっている。でも開放性が低い管理職は、過去の成功体験に固執する。
新しいツールや手法を導入しようとする部下に対して、「今のやり方で十分だろ」と却下する。市場の変化を指摘されても、「一時的なトレンドだ」と軽く見る。競合が新しい戦略を取っているという情報が入っても、「うちはうちのやり方がある」と無視する。
日本の伝統的な企業では、このタイプの管理職が少なくない。「前例がない」という言葉で新しい提案を却下する文化は、開放性の低さが組織レベルで表れている例だ。ただし、開放性が低い人が全てにおいてダメなわけではない。既存の仕組みを安定して運用する、ルールを守って確実に業務を進める、こうした場面では開放性の低さは「堅実さ」として機能する。問題は、環境が変化した時に「変わりたくない」と抵抗するところだ。
開放性が低い管理職の部下は、「アイデアを出しても無駄だ」と学習する。提案する前に「この人は受け入れるだろうか」と考え、無理だと思ったら提案自体をやめる。組織から「提案の文化」が消える。みんな言われたことだけをやるようになる。これは見かけ上は問題なく見える。指示通りに動いているから、大きなミスも起きない。でも組織としての成長が止まる。外部環境が変わっているのに、内部のやり方が変わらない。数年経ってから「他社に差をつけられた」と気づくが、その時はもう遅い。
性格を踏まえたキャリアの考え方
ここまで読んで「自分は経営・管理に向いていないかも」と思った人がいるかもしれない。でも向いていないと感じたからといって、「決断力がない」とか「リーダーの器じゃない」ということではない。経営・管理が求める環境と、自分の性格の傾向が合っていないだけだ。自分に合った形で力を発揮できる道を探す方向で考える。
「管理職=昇進」という思い込みを外す
日本の企業では、仕事ができる人が管理職になるのが暗黙のルールになっていることが多い。優秀なエンジニアがチームリーダーになり、優秀な営業が課長になる。「実力を認められた証」として管理職のポジションが与えられる。でもこれは必ずしも本人のためになっていない。
「優秀なプレーヤー=優秀なマネージャー」という前提自体が間違っている。プレーヤーに求められるのは、自分の専門領域で高い成果を出すことだ。マネージャーに求められるのは、他人の成果を最大化することだ。全く別のスキルセットが必要なのに、日本の企業では「成果を出した人を管理職にする」という慣行が根強い。成果を出した人は管理職になりたいとは限らないし、管理職になったからといって管理ができるとは限らない。
自分が一番得意なことを手放して、自分が苦手なマネジメントに回される。結果として、組織は優秀なプレーヤーを一人失い、平凡なマネージャーを一人増やす。これを「ピーターの法則」と呼ぶ。誰もが管理職を目指すべきではないし、管理職にならないと「出世していない」わけでもない。自分の強みを一番活かせるポジションはどこか、という基準で考えるのが健全だ。
近年は日本の企業でも、管理職と専門職を分ける動きが進んでいる。「フェローやエキスパート」といった専門職の称号を設け、管理職と同等の待遇で専門性を追求できるキャリアパスを用意する企業が増えてきた。これは良い変化だ。「管理職になるしか出世の道がない」という前提が崩れつつある。自分の性格に合った道を選びやすくなっている。
自分の知り合いで、エンジニアとして優秀だったのに管理職になって辛そうだった人がいる。「コードを書いている時が一番楽しかった」と言っていた。管理職になってからはコードを書く暇がなく、毎日会議と調整ばかり。本人は「やらなきゃいけないからやっている」と頑張っていたが、目から光が消えていたように見えた。数年後に「やっぱり現場に戻る」と決めて、今はアーキテクトとして活躍している。「管理職をやめて現場に戻る」ことは、負けではない。自分に合った場所に戻るだけだ。
管理職が合わないと気づいた時、「じゃあどうすればいいか」を考える。一つの選択肢は、管理職を辞めて現場に戻ること。もう一つは、管理職のまま自分に合ったやり方を見つけること。どちらが正しいかは、本人の状況による。家族がいて住宅ローンを抱えていれば、年収が下がる選択は難しいかもしれない。でも「管理職のままで自分に合ったやり方を見つける」道もある。全ての管理職が同じやり方をしなければならないわけではない。
管理の要素を分解して考える
「管理が合わない」と思った時、何が合わないのかを細かく分解してみる。予算管理は嫌だけど人の相談に乗るのは好きなのか。それともその逆か。部門をまたぐ調整は苦手だけど、チーム内のマネジメントはできるのか。経営・管理の中にも、戦略を考える役割、予算を管理する役割、人を育てる役割、部署間の調整をする役割がある。全部が同じ「管理職」という言葉でくくられているが、求められる性格はそれぞれ違う。
例えば、誠実性と情動安定性が高いが外向性が低い人なら、バックオフィス的な管理職は向いているかもしれない。人前でプレゼンするより、数字と向き合って組織の基盤を整える役割だ。逆に外向性は高いが誠実性が低い人なら、営業部門のフロントラインで部下を引っ張る役割は向いているが、予算管理は苦しいかもしれない。自分の因子の組み合わせを見て、「どの要素なら力を発揮できるか」を考える。
自分の因子の組み合わせを理解するもう一つのメリットは、副次的な補完ができることだ。外向性が低い管理職なら、外向性の高い部下を「チームの広報役」として活用できる。自分が苦手な「人前に出る」部分は部下に任せ、自分は「裏で方針を固める」役割に集中する。誠実性が低い管理職なら、誠実性の高い部下に「予算管理」や「スケジュール管理」を任せる。自分の弱い部分を部下の強みで補う。これは「自分の弱点を放置する」こととは違う。弱点を自覚した上で、意図的に補完の仕組みを作る。こういうチームビルディングができるのが、自分の性格を理解している管理職だ。
専門性を極める道
管理職にならなくても、専門性を極める道はある。日本の企業ではまだ「管理職=上」という意識が強いが、徐々に専門職のキャリアパスも整備されつつある。特にIT系や外資系では、マネージャーと同等かそれ以上の待遇で専門職を置く「デュアルトラック」が一般的だ。
自分が「深く一つのことに取り組む」方が向いているなら、専門性を極める道を選ぶのも立派なキャリアだ。管理職は「広く浅く」多くのことに対応するが、専門職は「狭く深く」一つの領域に集中する。どちらが優れているわけではなく、組織にとって両方必要だ。自分の性格がどちらに向いているかで選べばいい。
具体的にどういうことか。開放性が高くて好奇心旺盛な人は、新しい知識や技術を次々と吸収できるから、技術職や企画職として深い専門性を磨ける。誠実性が高い人は、継続的な努力で一つの分野を極める「職人」タイプとして価値を発揮できる。協調性が低くて人間関係にエネルギーを使いたくない人は、一人で没頭できる研究職や開発職で成果を出しやすい。管理職にならなくても、自分の因子に合った形で力を発揮できる道は必ずある。
外向性が低い人が組織を動かす方法
外向性が低いから管理職に向いていない、と諦める必要はない。外向性が低くても組織を動かしている人はいる。彼らに共通するのは、「一人一人と深く関わる」やり方をしていることだ。大人数の前で元気よく話すのは苦手でも、一人の部下とじっくり話すのは得意、というタイプだ。部下一人一人の特性を理解し、個別に対応する。この「個別対応型」のマネジメントは、外向性が低くても効果を発揮する。
また、文章で伝えるのが得意な人もいる。チャットやメールで的確な指示を出し、部下を動かす。口頭でのコミュニケーションが少なくても、文章の質が高ければ組織は動く。自分の得意なコミュニケーション手段を知っておくと、外向性が低くてもマネジメントの幅が広がる。
リモートワークが普及した今、外向性が低い管理職の強みが出やすくなっているという見方もある。オンラインでは「会議で大声で発言する」ことの価値が下がり、「文章で的確にまとめる」「一人一人と丁寧にメッセージを交わす」ことの価値が上がった。外向性が低い人の得意なコミュニケーションが評価されやすい環境が広がっている。自分の性格を「弱点」と捉えるのではなく、「どういう環境なら強みになるか」を考える視点が大事だ。
情動安定性を高める取り組み
情動安定性が低いから管理職は無理、と決めつける必要もない。情動安定性は、ある程度トレーニングで高められる部分がある。マインドフルネスの実践、認知行動療法的な思考の癖の修正、ストレス管理のスキルの習得。これらは科学的に効果が確認されているアプローチだ。
ただし、自分の性格の傾向を「変えよう」とするよりは、「扱い方を学ぶ」という感覚の方が健全だ。情動安定性が低いことは変えられなくても、プレッシャーのかかる場面でどう対処するかは学べる。「不安を感じた時は、まず深呼吸して事実を整理する」という手順を身につけるだけで、判断の質は変わってくる。性格の傾向と、その傾向との付き合い方は別物だ。
実践的な工夫を一つ紹介する。情動安定性が低い管理職にお勧めなのは、「判断を下す前に一拍置く」習慣だ。プレッシャーのかかる場面では、最初に湧いてくる感情にそのまま従ってしまうことが多い。「やばい」「どうしよう」という感情に乗って、早急な結論を出してしまう。そこで一拍置いて、「事実は何か」「選択肢は何か」「それぞれの選択肢のリスクは何か」を書き出す。この数分の作業が、感情に引っ張られた判断を防ぐ。情動安定性が低い人にとっては、「判断の前に必ず事実を整理する」という手順を決めておくことが、一番の自己防御になる。
もう一つの工夫は、「信頼できる相談相手を持つ」ことだ。管理職は孤独になりやすいが、情動安定性が低い人はなおさらそうだ。社内の同僚でも、社外の友人でも、元上司でもいい。不安をぶつけられる相手がいるだけで、精神的な負担は全然違う。「こんなことが起きて、どう思う?」と話すだけで、感情のループから抜け出せる。一人で悩んでいると不安が増幅するが、言葉にして外に出すことで客観的に考えられるようになる。情動安定性が低い人ほど、意識的に「話せる相手」を確保しておくことが大事だ。
自分の因子スコアを知る意義
経営・管理に向いているかを知る上で、ビッグファイブの因子スコアは一つの参考になる。「誠実性が高いから最後までやり切る力がある」「情動安定性が低いからプレッシャーには注意が必要」「外向性が低いから個別対応型のマネジメントを意識しよう」。こういう読み取り方が、自分のスコアを知っていればできる。スコアは傾向であって運命ではない。自分の傾向を知った上で、どういう環境でなら力を発揮できるか、どういう工夫をすれば苦手を補えるかを考える材料として活用してほしい。
最後に一つ言っておきたいのは、管理職に向いているかどうかは「人間としての価値」とは無関係だということだ。管理職に向いている人が「優れた人」で、向いていない人が「劣った人」なわけがない。得意なことが違うだけだ。世の中には管理職に向いている人もいれば、専門職に向いている人もいる。クリエイティブな仕事に向いている人もいれば、ルーティンワークに向いている人もいる。どれが一番いいとかはない。自分の性格を知って、自分に合った道を選ぶ。それが一番の正解だと思う。
日本社会には「管理職=出世」という価値観がまだ根強くある。「課長になったのか、おめでとう」という祝福の裏には、「管理職になることが進歩である」という前提がある。でも本当にそうだろうか。自分の得意なことを辞めて、得意ではないことに挑戦することが「進歩」なのだろうか。もちろん新しいことに挑戦すること自体は素晴らしい。でもそれが「期待されて管理職になったから」という理由だけであれば、少し疑った方がいい。自分の性格と向き合い、「この道で力を発揮したい」という意志で選ぶこと。それが一番後悔のないキャリアの選び方だと思う。